入団が決まったアスレチックスの帽子をかぶり、撮影に応じる森井選手(11日、国立市で)
桐朋高校野球部の田中監督(左)とともに記者会見に臨む森井選手
米大リーグのアスレチックスとマイナー契約を結んだ桐朋高校(国立市)3年の森井翔太郎選手(18)が11日、3月の渡米を前に記者会見に臨んだ。高校卒業後に直接大リーグに進み、ドジャースの大谷翔平選手のような「二刀流」を目指す前例のない挑戦に、「大谷選手は今は遠い存在だけど、その差を埋められるようにしたい」と決意を語った。(岡本遼太郎、井上勇人)
「二刀流」注目
「小さな頃からの夢だった大リーグの球団と契約できてうれしい」。同校で野球部の田中隆文監督(56)とともに会見に臨んだ森井選手は、念願の大リーグ行きを果たした喜びをこう語り、顔をほころばせた。
府中市出身。小学1年で野球を始め、その頃、当時大リーグでプレーしていた青木宣親さんのスイングを間近で見る機会があった。その力強さに驚き、大リーグを志すようになった。
当初は主に外野を守っていたが、中学3年からは投手に挑戦。内部進学で桐朋高校に進むと1年夏からレギュラーに定着し、投打でチームの柱に。3年時には投げては最速153キロの本格派右腕、打っては高校通算で45本塁打と、「二刀流選手」として注目を集めた。
だが、同校初の甲子園出場を目標に挑んだはずの最後の夏は、初戦でコールド負け。自身も途中登板したが4四死球を与えるなどふるわず、試合終了の瞬間は頭の中が真っ白になった。
夏の大会後、「まだまだ実力が足りない。進路を変えるべきだろうか」と迷いも出たという。それでも母・純子さんの「自分が一番生きたいと思う人生を生きる」との言葉に背中を押され、「早く大リーグに行って実力を上げていきたい」と決意を新たに。大リーグ以外の球団からの指名は受けない意向を示し、契約を勝ち取った。
昇格目指す
大リーグの複数球団から接触があった中、アスレチックスと契約した最大の理由は、「二刀流」を評価してもらったことだった。契約の瞬間は、うれしい気持ちと同時に「これからはプロとしてやっていかなければならない」と気が引き締まった。
2年夏からは英語の学習にも本格的に取り組み、すでに日常会話に支障ないレベルになったという。今月10日までの約1か月間はアリゾナ州の球団施設に招かれて練習に取り組み、身長1メートル84、体重89キロと恵まれた体格ながら、周囲の外国人選手たちの体の大きさに驚かされた。「まだまだパワーも足りない。渡米までにできる限りトレーニングを重ねたい」と誓う。
田中監督は、森井選手の持ち味を「課題に対して地道に努力できるところ」と評し、「どれだけ成長していくのだろうと期待を持たせてくれる選手だった。今後もさらに上のレベルを目指していけるだろう」とエールを送った。
1年目は海外の環境に慣れることに重点を置き、4、5年で大リーグ昇格を果たすことを目指す。高校最後の夏の悔しい経験も糧に、「温かく見守ってくれた地元・府中市や学校の人たちに、少しでも早く大リーグで活躍する姿を見せたい」と意気込んだ。